水の都として栄えた大阪は『天下の台所』としても有名である。江戸時代には経済の中心であった大阪は内陸へは淀川によって京都とつながり大和川によっては大和と直結しており、水運によって全国の諸藩から米や特産品が運ばれて相場を経て再び各地へ品物が下っていく。今では多くの堀川が埋め立てられたが、かつては大阪市中を縦横に張りめぐらされていた。従って橋の数も多く天神橋・難波橋・天満橋の浪速三大橋を含め205橋が数えられている。中之島・堂島は年貢米の倉庫と諸藩の蔵屋敷が建ち並び、多くの橋は民間の費用で建てられた。現在、存在する中之島・堂島への橋の中で西端に位置する堂島大橋は、明治に入り建設された歴史的には新しい橋である。曽根崎川(昭和42年埋め立て)に架けられていた堂島小橋に対し、明治10年に堂島川に架けられたのが堂島大橋である。当時は橋長83.4m・幅員3.6mの木橋であった。明治18年には淀川大洪水で橋が流出したが、再び木橋として復旧された。
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昭和2年に周辺橋梁に先駆けて、市電を通すため現在の形の2ヒンジ鋼アーチ橋として建設された。橋は、橋長75.8m・幅員22.6mの鋼製桁と鉄筋コンクリート床版からなる橋である。