堂島大橋とは


京阪電車中之島線終点の中之島駅を地上に出ると堂島川が流れており、目の前にアーチがそびえた堂島大橋がある。昭和2年(1927年)に完成したイタリアンロマネスク様式のラーメン橋台を有する下路アーチ橋である。現在では周りにはタワーマンションがそびえ大阪国際会議場が隣接している中で90年の威厳を示している。

 

堂島大橋の始まりは明治10年曽根崎川にあった堂島小橋(現在は埋め立てられています)の通りの南側に架けられた木製の橋であった。(橋長83.4m・幅員3.6m) 明治18年(1885年)の淀川の大洪水で天神橋他多くの木橋が流され、この堂島大橋も大きな被害を受け流失してしまった。その後再び木橋が架けられましたがその後第一次都市計画事業中之島十三線の整備に伴い昭和2年に市電が通る鉄橋として建設され現在の形に至っている。

特長として先に述べたイタリアンロマネスク様式のラーメン橋台付きの大型下路アーチは他に例がなく、現存する唯一の非タイド下路アーチとして評価されている。ラーメン橋台には建築家の武田五一の意匠設計思想が影響し、河川等の自然景観との調和を図ると共に周辺建築物の模範となるような意匠することが意識されている。当時大阪で上部にアーチを有する下路橋は、第一次大阪都市計画事業で建設された約150橋のうち4橋だけで、そのうちの1橋が堂島大橋である。上部アーチの曲線とラーメン橋台のアーチが織りなす曲線美に、石材と鋳鉄製格子パネルからなる高欄と風合いある街路灯と橋飾塔が河川周辺環境と調和し、構造美を生み出している。このような特長を現在に引き続き継承しているが、昭和20年の第2回大阪大空襲の際には戦禍は幸いにもくぐり抜けはしたが、空襲での火災の被害跡が一部の橋飾塔と親柱に黒い焦げ跡として残っている。

 

その後高度経済成長期には地下水の利用で地盤沈下が起こり、観光クルーズ船の周遊コースでは一番桁下空間が少なく、通り抜けするのに注意を要する橋として紹介されている。